46ドクターヘリ運航20周年記念誌川崎医科大学名誉教授(救急医学)日本航空医療学会名誉理事長認定NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)副理事長わが国のドクターヘリは、昭和55(1985)年の6月、元岡山県警察本部長をされていた冨永誠美氏(元警察庁初代交通局長)が㈳日本交通科学協議会副会長として川崎医科大学に川崎学園の初代理事長で川崎医科大学附属病院病院長も兼務されていた川﨑祐宣氏を訪ねて来られた時に始まります。何故、東京在住の冨永氏が川崎学園に来られたかというと、冨永氏が岡山県警察本部長をされていた時に、川﨑理事長が岡山県医師会の副会長をされていたので、富永氏と川﨑理事長は、旧知の仲だったのです。そして、冨永氏は、川﨑理事長に「医師が搭乗した救急医療用ヘリコプターを川崎医科大学附属病院救命救急センターで運航し、交通事故による死亡者を救命しませんか」と言われたのです。何故ならば、ドイツのADAC(ドイツ自動車連盟:日本のJAFに相当)が、医師が搭乗したヘリコプターを高速道路の交通事故現場に降下させ、事故現場で医師が救命治療を行うことによって、交通事故による死亡者を減少させており、このシステムを日本でも是非実現したいので、協力して欲しいといわれたのです。当時、日本でも交通事故による死亡者が戦後のモータリゼーションにより、昭和45年には、年間16,765名が交通事故により死亡し、今に年間2万人が死亡するのではないかとして大きな社会問題になっていたのです。この時、私は救命救急センターを誘致し、外傷外科医として救命救急センターの部長をしており、川﨑理事長から理事長室に来るように呼ばれ、前記の話をされ、私に意見を求められたのです。当時、救命救急センターを開設したことによって、県北から多くの重症傷病者が来院していましたが、救急車で1時間以上を経過して救急車で来院するために、多くの重症傷病者が搬送途上で心肺停止になっており、医師が搭乗した救急医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)が必要と思っていたところだったので、私も冨永氏の意見に全く賛同したのです。当時、大学病院は、やっと卒業生が出始めた頃であり、ドクターヘリが墜落して死亡者でも出たら、川崎学園として大変なことになるので、当然お断りになるだろうと思っていたのですが、「とりあえずドイツに行って、救急医療用ヘリコプター運用の実際を見学したらどうですか」と言われたのです。この川﨑理事長の英断と先見の明には、全く頭が下ります。この理事長の英断がなければ、ドクターヘリは、いま日本の空を飛んでいないでしょう。ドイツに行った後、冨永氏は㈳日本交通科学協議会内に「航空機を用いた救護搬送委員会(委員長小濱啓次川崎医科大学救急医学教授)を発足させ、この委員会で5回に亘って救急医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)の実用化研究を行い、ドクターヘリによって、重症傷病者の救命率の向上と予後の改善が得られることを実証されたのです。実用化研究には、最初から警察庁、消防庁の担当役人を参加させ、最初から、国としてこのドクターヘリ導入記 小濱 啓次救急医療用ヘリコプター(通称ドクターヘリ)導入20周年を迎えて
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